来年2月1日から
「家庭ゴミ有料化制度」が実施されるそうな。
45リットルのゴミ袋が45円とか。
いったいいつ決めたんだ!
こういう生活に密着したことが、
収入の多少に関わらず等しく同じってどうなんだ!
などの不平不満はある。
しかし、だからと言ってどうして良いか分からないので、
結局黙って従ってしまうであろう小心者。
有料化の前に、できるだけ不要品を捨てようと決意した。
19年前新築した時は4人家族だったので
部屋数と収納は4人分ある。
そこに、地下の稽古場兼事務所スペースもある。
駐車場の奥には納戸があり、
隣家の姑宅の駐車場も納戸として使わせてもらっている。
というわけで、
現在私ひとりで住んでいるわが家は、
当然収納はたっぷりある。
たっぷりあるのはいいが、
そこに今はもうここにいない3人分の
洋服やら本やら荷物やら電化製品やら布団やらが
そのままそこに収まっている。
収納部分からはみ出しているのなら
なんとかしようとも思ったのだろうが、
とりあえず、収まっている。
で、結局独り暮らしになって9年になるというのに、
いっさい触らずにそのままの状態で過ごしてきた。
家族4人でわいわい暮らしていたときの
思い出という名の残骸にいつまでも囲まれていることは
よろしくないのではないかと
指摘する人も何人かいたのだが、
夫の三回忌がすんだら…
いや、七回忌がすんだら…
10年たったら…
と自分に言い訳ばかりして
整理にとりかかるタイミングを逃していた。
家庭ゴミ有料化制度は、そんな私の背中を押した。
とりかかったのはいいのだが、
もともとそんなに根気のあるほうではないので、
すぐにイヤになる。
長続きしない。
出口が見えるトンネルならばがんばれるが
あまりにも分量が多すぎて気が遠くなってくる。
目の前に人参がぶら下がっていれば
がんばれるのだが、それもない。
やらないからと言って
誰かに怒られるわけでもないとなると、
怠け者の私はついつい投げ出したくなるのだ。
一カ所を集中してやるから飽きるのかもと、
家族それぞれのスペースを同時進行で
少しずつやりはじめたのはいいのだが、
収まっていたものを全部取り出しているため、
どこもかしこも、ごちゃついてしまっている。
これなら、収まるところにとりあえず収まっていた
以前の状態のほうがいいのではないかとすら思ってしまう。
とりあえず、片付けの基本とやらの
「使うもの」「不要品」「保留」にわけている。
あきらかに不要なものもたくさんあるし、
私にとってなんの思い入れもないものは
ぽいぽい捨てられるのだが、
結局迷いに迷って「保留」にしてしまうものがやたら多い。
思い切りが悪い自分の性格を恨めしい。
保留にするものの多くは、
私は使わない(使えない)が壊れても傷んでもいないものや、
値段が高かったものや、
人からプレゼントされたもの、
それを使っていたときに楽しい思い出がいっぱいだったものだ。
あとは、おかしなもので
自分のものや、母のものは比較的抵抗なく捨てられるのに
夫のものが捨てられないのだ。
夫の鞄、愛用のメガネ、帽子、服、蔵書。
かといって、亡くなってから
それらをずっと愛でているかといえば
そんなことはない。
ただそこに置いてあるだけだ。
自分のものは比較的抵抗なく捨てられると書いたが
絶対にもう着ることのできない服の数々は捨てられない。
夫が亡くなって7号、5号サイズまで痩せたときに
自分を元気づけるために買った
少々値の張る服をどうしてもゴミ袋にいれられないのは
なんでだろうか。
どう考えても、
8年前のデザインの5号サイズを着ることは
今後あり得ないだろうに。
こんな調子で、本当に終わるのだろうか。
不要品を整理して、
これまで使わずにおいたスペースを
新たに使うイメージをもてば
この作業ももっとはかどるのかもしれないが、
正直、それもあまり浮かばない。
しかし、手を着け始めたからには
やらなければならない。
そういうところは、わりと生真面目なのだ。
めげそうになると、
呪文のように「千里の道も一歩から」と唱えて
不要品の山と闘う毎日である。

- Profile -
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東 千絵 (ひがし ちえ)
「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。