明けましておめでとうございます。
どうか、本年も変わらず
この「皐月のコイの吹き流し」をご愛読くださいませ。
……と、書きつつも、これを書いているのは
2016年の年の瀬。
例年の年の瀬の
あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと
気ばかり焦って、結局たいしたことができないという、
ムダな慌ただしさに耐えきれず、
ここ数年は、年末に大掃除をして
すっきりとした気分で新年を迎えるというのを
あきらめた。
窓ガラスの曇りも、サッシの埃も、
風呂の排水溝の黒ずみも、
換気扇の油もそのまま年を越す。
温かくなったら、のんびりゆっくり
ひとつひとつこなすことにしたら、
気分的にラクになった。
年末恒例行事だった大掃除は割愛したが、
食いしん坊の私は、
おせち料理は省略気味とはいえ、
何品か作って市販のものと合わせて、
ワンプレートおせちとして並べる。
独り暮らしで、帰省する家族も
年始に来るひともいないのだが、
こういうところはこだわってしまう。
ただし、今年は品数も厳選しての手抜き。
それでも、大掃除はしなくても、
おせちを肴に、杯をかたむけながら、
お笑い番組を見ないと、
正月が来た気にならない。
今年は、着物も着てみようかと思う。
誰もこなくても、どこにも行かなくとも、
まぁ、気分ね、気分。
で、お昼近くに届く年賀状を
たんねんに読むのが恒例。
もう何年も、いや、
何十年も会っていなくて、
年賀状だけの繋がりになっている友人知人が何人もいる。
しかも、
なかには、宛先から何からすべて印刷で、
添え書きひとつ書いて来ない人もいる。
それでも賀状が届けば
立派な安否確認。
元気にしているのかとほっとする。
近況が書き添えてあれば、なおうれしいが、
ただし、当の本人のことは1行もなく、
私の知らない家族の近況ばかり書き連ねてあると、
「で、あんたは?」とちょっとイラッとしたり。
家族写真の年賀状は、賛否両論あるけれど、
私はべつにかまわない。
しかし、本人が写っていなくて、
子どもの写真だけだったりすると
寂しかったりはする。
もらって嬉しい年賀状は
私への気遣いや、激励や、応援のことばが
添え書きされてあるものだ。
私も自分のことばかり書かずに、
相手への気遣いを書かないとなぁと反省する。
そうはいっても、
根が無精なものだから、
もらうのは好きだけど、正直書くのは煩わしい。
それでも、書いて出さないと、
もらえないので、なんとか頑張って書く。
裏面は印刷なので、
せめて宛名だけはと
汚い字ではあるけれど
200枚ほどを手書きで書く。
添え書きもなるべく書くようにしていたのだが、
今年はいろいろあって、エネルギー不足。
添え書きするスペースが
やたら狭いデザインにするという苦肉の策をとった。
そんなこんなの年の瀬だけど、
皆さんがこれを読むころには、
無事年を越し、
着物を着て、おせちをつまみ、
お笑い番組を見て笑い、
年賀状の向こうに見える
あの人この人の顔を思い浮かべて
いつもどおりのお正月を迎えていることだろう。
いつもどおりがいちばん。
皆さまも、どうか良いお正月を。
そして、良き一年を。

- Profile -
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東 千絵 (ひがし ちえ)
「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。