HOME > 特集 > 皐月のコイの吹き流し > 第二十一回 地獄の抑止力

第二十一回 地獄の抑止力

子どもの頃、死が怖くて怖くてしかたなかった。
その原因は、
周囲の大人たちによって繰り返し話された
「死んだら、閻魔さまに裁かれて、
 生きているときに悪いことをした者は、
 地獄におとされる」
という死後の世界の話しのせいだった。

とくに、母方の祖母の地獄の描写は、
まるで見てきたかのように微に入り細に入り、
幼い私を震え上がらせた。

「ウソをついたら、閻魔さまに舌を引っこ抜かれる」
舌を引っこ抜かれる痛さを想像する幼い私。
ああ、ゆうべ寝る前に
歯を磨くのがじゃまくさくて
もう磨いたとウソをついてしまった。
さっきも、おやつを食べる前に
手を洗ったかと聞かれて
洗ったとウソをついてしまった。

私は、死んだら閻魔さまに舌を引っこ抜かれ、
鬼がやまほどいる地獄に落とされるのだ!
そして、
鉄のつめや刀で、骨になるまで傷つけあい、
鬼に叩かれ、ひきさかれ、
どんなに傷つきぼろぼろになってもまた蘇って
同じ苦しみを受け続けなければいけないという。

ちょっと無精してウソをついただけで、
そんな苦しみが待っていたとは!

生き物を殺したり盗みをすると、
熱く焼けた斧やのこぎりで切り刻まれる
と祖母は言う。
あああ。このまえ、庭の蟻の巣に
じょうろで水を注いで、
巣からわらわらと次々に這い出してくる蟻を
踏みつぶして遊んだ私は、
確実にこっちの地獄だ!
どうしょう、どうしようと涙目で祖母に訴えると
「地獄におちたくなかったら、これからは
 ウソをつかず、生き物を殺さず、良い行いをしていたら、
 お釈迦さまがチャンスをくれて、許してくれることもある」
そういって、「蜘蛛の糸」のカンダタの話しをしてくれた。

それでも、悲観的でマイナス思考の子どもだった私は
自分は死んだら地獄に行くのだと思った。
だから、死ぬのが怖くて怖くてしかたなかった。

転んで膝から血が出ると、
出血多量で死ぬのではないか、
風邪をひいて高い熱が出ると、
このまま気を失って気がついたら
閻魔さまの前で裁かれて
地獄におとされるのではないかと
生きた心地がしなかった。
死にたくない!
なんとか不死身の身体になれないものかと
毎晩神様に祈った。

周囲の大人たちが地獄の話しをしたのは、
どう考えても、
私に不死身になりたいと思わすのが目的ではなく、
良い子で日々を過ごすよう
戒めのためにしていたはずなのだが、
ただただ、子どもをびびらせ、
死にたくない!死にたくない!
と思わせることとなった。

さすがに、小学校中学年になるあたりで、
地獄の存在を疑い出した。
祖母たちが語る、見てきたような地獄の描写は、
いったい誰が見てきたのだろう。
地獄に落とされた人は、
最短でも13兆数千億年たたないと
生まれ変われないのに、
どうしてこんなに詳しく語り継がれるのだろう。

高学年になる頃には、
すっかり地獄の話しは鼻で笑えるようになった。
そこからは、ムダに死を怖がったり、
不死身になりたいと思わなくなった。

先日、調べ物があり図書館に行ったら、
私があれだけ怖がっていた
地獄のことを書いた本を見つけた。
面白そうだったので、借りてきたら
私が聞かされていた地獄の責め苦より、
まだバージョンアップした地獄があった。

殺生、盗みに加えて、淫らな行いをした人は、
鉄の臼ですりつぶされ、
鳥や獣に食われるそうだ。

「淫らな行為」と言われても
今のところ思い当たることがないので、
私は臼ですりつぶされることはないな
と安心していたら、
「え?それも、淫らな行為にカウントするの?」
という行為も含まれていた。
詳しくはここでは書けないけど、
あららら。

そしてなんと、そのもうひとつ上の地獄は、
飲酒をしたり、させたりした者のためだという。
ここでは、口をこじあけられ、
煮えたぎる銅を流し込まれ、
すさまじい炎で火あぶりにされるそうだ。
酒を飲んだだけで…。
では、確実にこの地獄行きではないか。

地獄の存在はもう信じていないとはいえ、
ちょっとぞっとしたので、
冷や酒をあおり酔って気を紛らわせた。
ふんっ。死んでたまるか。

地獄の存在は、結局ちっとも戒めになっていない。

- Profile -

東 千絵

東 千絵 (ひがし ちえ)

「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。

バックナンバー

10月1日 第三十七回 「またね!」
9月1日 第三十六回 「苦手は、悪知恵で乗りきった」
8月1日 第三十五回 「命の終わらせ方」
7月1日 第三十四回 「お酒と私」
6月1日 第三十三回 「千里の道も一歩から」
5月1日 第三十二回 「女ごころの最後の悪あがき」
4月1日 第三十一回 「ドラマオーディション体験記」
3月1日 第三十回 「逃げ道が見つからないので、きんかんの甘露煮」
2月1日 第二十九回 「そのドアを開けてはいけない」
1月1日 第二十八回 「正月支度」
12月3日 第二十七回 「劇処 シャッフルステージ」
11月1日 第二十六回 「乗っかりそびれたハロウィン」
10月4日 第二十五回 「女って、生きているかぎり闘い続けるものなのよ」
9月3日 第二十四回 手塩にかけたナレーターたちのデビュー
8月1日 第二十三回 大人、大人、言いすぎじゃないの?
7月5日 第二十二回 靴が見つからない
6月8日 第二十一回 地獄の抑止力
5月3日 第二十回 最後まで笑顔
4月3日 第十九回 桜を見ずに逝った人
3月1日 第十八回 うるう年の薔薇
2月1日 第十七回 奥手な女子の初バレンタイン
1月2日 第十六回 愛しの近江町市場
12月1日 第十五回 どのツラさげて
11月1日 第十四回 結婚式の思い出
10月1日 第十三回 輝きの秘密は、言わぬが華
9月1日 第十二回 魔女と仙女と魔法使い
8月1日 第十一回 去っていった古女房
7月1日 第十回 恥ずかしかった誕生日の夜
6月1日 第九回 撮影裏ばなし
5月1日 第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女
4月1日 第七回 台湾、満喫、満足、満腹の旅
3月1日 第六回 熟年サラリーマンのプラトニックラブ
2月1日 第五回 報われないけど、やり甲斐のある仕事
1月1日 第四回 泣きたいときは泣いてもいいのか
12月2日 第三回 持てあました、夢見る権利
10月30日 第二回 煙草とトワレ
10月1日 第一回 ヒロインはいつもリカちゃん