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第十八回 うるう年の薔薇

今年はうるう年。
2月29日生まれの人の
四年に一度の誕生日。

夫がその人の
四年に一度の誕生日に、
年の数だけ薔薇を贈っていたことを知ったのは、
結婚して数年後に迎えた
うるう年の2月のことだった。

今となってはもう、
よく覚えていないのだが、
偶然花屋のレシートを見つけて、
不審に思って確かめた気がする。

彼には、十代後半から二十代はじめにかけて
付き合っていた人がいた。
うるう年の2月29日生まれで、
4つ5つ年上の、
優しく、賢く、美しい人。

彼女の存在を知ったのは、
付き合いはじめてしばらくして、
部屋に食事を作りに行くようになった頃だ。
音楽でも聴きながら用意をしようと、
そこらにあったカセットテープのなかから選んだ、
ラベルの貼っていないテープは、
その彼女に向けてのギターの弾き語りだった。

録音したのはいいけれど、
送ることなく、
手元に置いてあったものだったようだ。
聴いてはいけないものだと思いつつ、
冒頭の部分を聴いてしまった21歳の私。

いかにも昭和な恥ずかしいテープ。
別れて何年もたつというのに、
捨てきれずに持っていたということに、
なんだか思いの深さをざわざわと感じて、
帰ってきた彼を問い詰めた。

終わったことだと笑いながら、
仕方なさそうに、
うるう年生まれの
年上の彼女の話をしてくれた。

東京の大学に進学した彼と、
地元に残った年上の彼女は、
離れた距離のせいなのか、
年齢のせいなのか、
結局別れることになったそうだ。

今は、私とこうしているのだから、
終わった恋の相手にヤキモチ焼くのは
愚かなことだと思いながらも、
なんだかもやもやとしつつ、
私たちはその半年後、結婚した。

夫は、なんでもない時に、
小さな花束や鉢植えをさらりと
買って帰るような人だった。
でも、それは身の丈にあった、
質素なものばかりだった。

しかし、その花屋のレシートの金額は、
えらく高額だった。
一瞬、知り合いの劇団の
楽屋見舞いにでも贈ったのかと思ったが、
その時期は、どの劇団も公演などしていなかった。
もうその時点で、
ああこれは、うるう年生まれの
昔の恋人への誕生祝いの花束だと
気がついてしまった。

「これ、何買ったの?誰に贈ったの?」

今の私ならば、確かめたところで
いいことなど何もないと分かるのだが、
当時の私には、
そんなことは分からない。
本当のコトを確かめたいのか、
それとも優しい嘘に
うまく騙され安心したかったのか。

「訊いてどうする?」
「言えないような、やましいこと?」

押し問答をした末に、
夫はしぶしぶ答えた。
「……○○子さんの誕生祝い。」

やましいことは何もないと、
夫は淡々と説明した。
四年に一度の誕生日には、
年の数だけ薔薇を贈っている。
むこうも、家庭を持っているので
会ってもいない。
会うつもりもない。

次のうるう年も、
夫は彼女に薔薇を贈り続けていた。

会ってもいない、
会うつもりもないはそのうち、
嘘になった。

彼女から
とある事情で、地元を離れることになったので、
最後に一度会いたいという連絡をもらった夫は、
彼女に会いに行った。

彼女に会いに行くことを私に伝え、
しかも、待ち合わせの場所に
なぜか夫は、幼い娘を連れていった。

きっとそれは、
彼なりの、歯止めだったのかもしれない。

それからのうるう年は、
薔薇を贈ったかどうかを訊くのを
私はやめた。

それから幾度かのうるう年を超え、
夫が悪性リンパ腫の治療で
無菌室に入ったと
風の噂で知ったその彼女から、
家の電話に留守電が入った。

メッセージごと消去しようかとも思ったが、
なんだかそれでは女がすたると、
私はそのままそれを
病床の夫に伝えた。

それから、夫が亡くなるまで、
彼女とはメールのやりとりをしていたようだ。

年賀欠礼の喪中葉書への返事はなかった。

薔薇は好きだが、
うるう年の2月に見る薔薇は、
今でも心にちくりと突き刺さる。

- Profile -

東 千絵

東 千絵 (ひがし ちえ)

「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。

バックナンバー

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9月1日 第三十六回 「苦手は、悪知恵で乗りきった」
8月1日 第三十五回 「命の終わらせ方」
7月1日 第三十四回 「お酒と私」
6月1日 第三十三回 「千里の道も一歩から」
5月1日 第三十二回 「女ごころの最後の悪あがき」
4月1日 第三十一回 「ドラマオーディション体験記」
3月1日 第三十回 「逃げ道が見つからないので、きんかんの甘露煮」
2月1日 第二十九回 「そのドアを開けてはいけない」
1月1日 第二十八回 「正月支度」
12月3日 第二十七回 「劇処 シャッフルステージ」
11月1日 第二十六回 「乗っかりそびれたハロウィン」
10月4日 第二十五回 「女って、生きているかぎり闘い続けるものなのよ」
9月3日 第二十四回 手塩にかけたナレーターたちのデビュー
8月1日 第二十三回 大人、大人、言いすぎじゃないの?
7月5日 第二十二回 靴が見つからない
6月8日 第二十一回 地獄の抑止力
5月3日 第二十回 最後まで笑顔
4月3日 第十九回 桜を見ずに逝った人
3月1日 第十八回 うるう年の薔薇
2月1日 第十七回 奥手な女子の初バレンタイン
1月2日 第十六回 愛しの近江町市場
12月1日 第十五回 どのツラさげて
11月1日 第十四回 結婚式の思い出
10月1日 第十三回 輝きの秘密は、言わぬが華
9月1日 第十二回 魔女と仙女と魔法使い
8月1日 第十一回 去っていった古女房
7月1日 第十回 恥ずかしかった誕生日の夜
6月1日 第九回 撮影裏ばなし
5月1日 第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女
4月1日 第七回 台湾、満喫、満足、満腹の旅
3月1日 第六回 熟年サラリーマンのプラトニックラブ
2月1日 第五回 報われないけど、やり甲斐のある仕事
1月1日 第四回 泣きたいときは泣いてもいいのか
12月2日 第三回 持てあました、夢見る権利
10月30日 第二回 煙草とトワレ
10月1日 第一回 ヒロインはいつもリカちゃん