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第十六回 愛しの近江町市場

独り暮らしになって、
8回目の正月を迎えることになる。
ここ数年は、12月に舞台に立つことが続き、
大掃除もしなければ、
きちんとしたおせち料理も作らなくなった。
それでもやはり、
年末に近江町市場に行かないと
なんだか落ち着かない。

私の実家は、近江町市場から
目と鼻の先にあった。
同級生には、
市場周辺の店の娘や息子がたくさんいた。
知り合いの店で買い物をしていれば、
様々な用が事足りた。

母も叔母も、毎日近江町へ行った。
なんなら、1日に2回行くこともあった。

夕方、店が閉まるぎりぎりに行くと、
魚なんかはびっくりするほど安くなっていたし、
顔見知りの店では、
多めにオマケの品物をつけてくれた。
近江町市場は「市民の台所」と言われてきたが、
実家では「近江町は、うちの冷蔵庫。」
と言っていた。
買い置きや買いだめをしたことがなかった。
その日、必要なものを
必要な分だけ買う。

生活に余裕がなかった母は、
その日いちばん安いもので献立を決めていたし、
グルメな叔父を満足させなければいけなかった叔母は、
馴染みの魚屋さんに、
その日のオススメをよけておいてもらっていた。

それぞれが、それぞれの利用の仕方、
買い物の仕方を楽しめる場所だった。

勧められて買ったものが美味しかったときは、
必ず翌日
「あれ、おいしかったわ~」と伝え、
イマイチだった時もはっきりと
「あれ、おいしなかったがいね!」と
正直に伝えた。

今とは違い、魚屋さんでは
魚はさばいてくれなかった。
果物屋さんも、八百屋さんも、乾物屋さんも、
口下手で愛想の悪い人もいたけれど、
常連のお客さんのことは
しっかり把握していて、
それに適したものや好物をとっておいてくれた。
忙しいときでなければ、
調理方法なんかもざっくりと説明してくれた。

小さい頃、荷物持ちで買い物についていくと、
「えらいね~。」と頭を撫でられ、
オマケのお菓子をもらったりした。

通路は今のように広くなかったし、
アーケードの天井も雑な造りだったので、
天気の悪い日は、
足もとがびちゃびちゃして歩きにくかったが、
それでも私は近江町市場が大好きだった。

嫁いでからは、無味乾燥としたスーパーに
なかなか慣れずにとまどった。
実家に帰って近江町に行くと、
なんだかほっとしたものだった。

とうに実家がなくなった今でも、
仕事のついでがあると、
ついつい足を向けてしまうし、
正月の買い物も、
混雑しているのは分かっているものの
年中行事のようにして近江町へ行ってしまう。

ここ数年の近江町市場の変わりっぷりには
思うところはたくさんある。
わが物顔で行儀悪く食べ歩きしながら、
道いっぱいに広がって闊歩する
観光客の群れを見ると、
他人が自分の家の冷蔵庫を勝手にあけて、
食い散らかしているかのように思えて
腹立たしくもなる。

でも、近江町は近江町で
新しいやり方もとりいれて
生き残っていかなければならないのだろう。
新幹線が開通して、増えに増えた観光客や、
旅番組、グルメ番組の取材に、
対応していかなければならないのだろう。

こちらが、行く曜日や時間を調整して、
なるべくイヤな思いをしないように自己防衛しつつ、
ひっそりと日々の買い物をしている。
近江町でしか、買えないものもあるし、
近江町で、買いたいものもある。

変わらなければいけない部分、
変えてはいけない部分、
うまくバランスをとって、
近江町は続いていってほしいと思う。

- Profile -

東 千絵

東 千絵 (ひがし ちえ)

「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。

バックナンバー

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9月1日 第三十六回 「苦手は、悪知恵で乗りきった」
8月1日 第三十五回 「命の終わらせ方」
7月1日 第三十四回 「お酒と私」
6月1日 第三十三回 「千里の道も一歩から」
5月1日 第三十二回 「女ごころの最後の悪あがき」
4月1日 第三十一回 「ドラマオーディション体験記」
3月1日 第三十回 「逃げ道が見つからないので、きんかんの甘露煮」
2月1日 第二十九回 「そのドアを開けてはいけない」
1月1日 第二十八回 「正月支度」
12月3日 第二十七回 「劇処 シャッフルステージ」
11月1日 第二十六回 「乗っかりそびれたハロウィン」
10月4日 第二十五回 「女って、生きているかぎり闘い続けるものなのよ」
9月3日 第二十四回 手塩にかけたナレーターたちのデビュー
8月1日 第二十三回 大人、大人、言いすぎじゃないの?
7月5日 第二十二回 靴が見つからない
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5月3日 第二十回 最後まで笑顔
4月3日 第十九回 桜を見ずに逝った人
3月1日 第十八回 うるう年の薔薇
2月1日 第十七回 奥手な女子の初バレンタイン
1月2日 第十六回 愛しの近江町市場
12月1日 第十五回 どのツラさげて
11月1日 第十四回 結婚式の思い出
10月1日 第十三回 輝きの秘密は、言わぬが華
9月1日 第十二回 魔女と仙女と魔法使い
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7月1日 第十回 恥ずかしかった誕生日の夜
6月1日 第九回 撮影裏ばなし
5月1日 第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女
4月1日 第七回 台湾、満喫、満足、満腹の旅
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1月1日 第四回 泣きたいときは泣いてもいいのか
12月2日 第三回 持てあました、夢見る権利
10月30日 第二回 煙草とトワレ
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