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第十一回 去っていった古女房

17年間、
一度も故障することなく使ってきた冷蔵庫が
突然壊れた。
冷えなくなったとかではなく、
扉をあけたら、いきなりはずれて
とれて落下したのだ。

落ちるはずもないと信じていたものが
いきなりストンと落ちた時の衝撃。

幸い足の上には落ちなかったが、
ドアポケットに入っていた
卵は割れ、牛乳はこぼれ、
お好み焼きの粉が舞い散る。
ポン酢とチリソースの瓶が割れて
中身が飛び散った。
冷却シートは散乱し、
目薬や薬の袋は卵の白身でべたべた。
スパイスの瓶も転がっている。

イヌが、こぼれた牛乳をなめに来るのを
必死で食い止める。
キッチンペーパーと雑巾で
フローリングの汚れを拭き取りながら、
4人家族用の大型冷蔵庫を
独りで使うようになって、
ついつい冷蔵庫にいれなくてもいいものまで
放り込んでいたことを反省する

扉を失った冷蔵庫は、ぴっぴぴっぴと
庫内温度が上がっていくことを知らせる
警告音が鳴り止まない。

とりあえず、足下をきれいにしないと、
冷蔵庫の扉をもと通りにはめ込むこともできないので、
ひたすら拭き掃除をし、
ガラスの破片を拾い集める。
ドアポケットにまだ残っているものを、
いったん取り出して、テーブルの上に並べる。

それにしても、扉がはずれて
中身が丸見えになっている冷蔵庫は
なんだかマヌケだ。

さて。
冷蔵庫の扉を持ち上げる。
これが意外に重くて驚く。
考えてみたら、冷蔵庫の扉を持ち上げたことなんて
初めてのことだ。
ふ~ん。こんなに重いのか。
こんなものが、もし足の上に落ちていたら
きっと骨折していたことだろう。
ほっとしつつも、なんとか扉をはめこもうとするのだが
接合部の部品が欠けたのか、
どうしてもはまらない。

むりくりはめたとしても、
また落ちてきては恐いので、
電気屋さんに連絡し、事情を話して
応急処置をしてもらった。

電気屋さんからメーカーに連絡して、
今後の対処を相談することになった。

まぁ、この後
いろいろなんやかんやがあったのだが、
思い出すと心がざわつくので、そこは割愛。

結局、いくらか割り引いてもらって、
数日後、新品の冷蔵庫を購入した。

買い替えてみて思ったが、
やはり17年選手の前の冷蔵庫は
冷え方が弱くなっていた。
新品は快適だ。
お茶も、水出し珈琲も、ひえっひえだし、
冷凍する速度も早い。
きれいだし、使いやすい。

古い冷蔵庫には
拭いてもとれない汚れがこびりついていたし、
扉には、はがしたシールの跡だの、
キズだのがついていた。

正直、冷蔵庫は買い替えようかと迷っていた。
電気代が全然違うというアドバイスも魅力的だった。
でも、まだ壊れたわけでもないのに、
新しいのに乗り換えるのは、なんだか
「なんの落ち度もない糟糠の妻を捨てる
成り上がりの調子に乗った情の薄い男」
みたいで抵抗があった。

このところ、
パソコンとエアコンが続けて故障したこともあり、
不満はあるけど、
なんとかだましだまし付き合っていこうと、
決めた矢先の、扉落下。

「あたしを捨てたいんでしょ?
 よそに目移りしてるんでしょ?
 わかったわよ。捨てたきゃ捨てればいいでしょ!キーっ!」
と最後に思いもかけない暴れ方をして
去っていった糟糠の妻。

それとも、こちらの思いを察して
私が捨てやすいよう踏ん切りをつけさせるために
自らを傷つけて身を引いた糟糠の妻なのだろうか?

ま、私だったら前者だろうな。

新妻の冷蔵庫は、美人でスリムで有能。
人に自慢したくなるような、
私には過ぎたパートナー。
ただ、野菜室と冷凍室が、
前の冷蔵庫とは逆の位置についているため、
まだ使い慣れない私は戸惑っている。

若くてキレイな後妻は充分魅力的だが
捨てた古女房が、ちょっと恋しい…そんな夏。

- Profile -

東 千絵

東 千絵 (ひがし ちえ)

「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。

バックナンバー

10月1日 第三十七回 「またね!」
9月1日 第三十六回 「苦手は、悪知恵で乗りきった」
8月1日 第三十五回 「命の終わらせ方」
7月1日 第三十四回 「お酒と私」
6月1日 第三十三回 「千里の道も一歩から」
5月1日 第三十二回 「女ごころの最後の悪あがき」
4月1日 第三十一回 「ドラマオーディション体験記」
3月1日 第三十回 「逃げ道が見つからないので、きんかんの甘露煮」
2月1日 第二十九回 「そのドアを開けてはいけない」
1月1日 第二十八回 「正月支度」
12月3日 第二十七回 「劇処 シャッフルステージ」
11月1日 第二十六回 「乗っかりそびれたハロウィン」
10月4日 第二十五回 「女って、生きているかぎり闘い続けるものなのよ」
9月3日 第二十四回 手塩にかけたナレーターたちのデビュー
8月1日 第二十三回 大人、大人、言いすぎじゃないの?
7月5日 第二十二回 靴が見つからない
6月8日 第二十一回 地獄の抑止力
5月3日 第二十回 最後まで笑顔
4月3日 第十九回 桜を見ずに逝った人
3月1日 第十八回 うるう年の薔薇
2月1日 第十七回 奥手な女子の初バレンタイン
1月2日 第十六回 愛しの近江町市場
12月1日 第十五回 どのツラさげて
11月1日 第十四回 結婚式の思い出
10月1日 第十三回 輝きの秘密は、言わぬが華
9月1日 第十二回 魔女と仙女と魔法使い
8月1日 第十一回 去っていった古女房
7月1日 第十回 恥ずかしかった誕生日の夜
6月1日 第九回 撮影裏ばなし
5月1日 第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女
4月1日 第七回 台湾、満喫、満足、満腹の旅
3月1日 第六回 熟年サラリーマンのプラトニックラブ
2月1日 第五回 報われないけど、やり甲斐のある仕事
1月1日 第四回 泣きたいときは泣いてもいいのか
12月2日 第三回 持てあました、夢見る権利
10月30日 第二回 煙草とトワレ
10月1日 第一回 ヒロインはいつもリカちゃん