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第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女

よく「手に汗にぎる」とかいうが、
実際に自分がそういう状態になったことはなかった。
もともとさほど緊張するタイプでもない。
だいたいのことは、
「命をとられるわけでもないから大丈夫!」
を基本精神として乗りきってきた。

それが、先日は、にぎった手のひらに
汗の水たまりができた。
こう書くと、
どれだけ危険な目にあったのかとか、
どんな緊迫した場面に遭遇したのかと思われるだろう。
全然、危険でもなければ、緊迫もしていなかった。

ただ、みんなで数時間、
新しい楽譜をもらって、歌の稽古をしただけだった。

所属している演劇ユニットK-CATは
9月16日~19日に芸術村ドラマ工房にて、
「歌うシンデレラ」という音楽劇を上演する。
劇中歌われる12曲の楽曲はすべてオリジナル。
その初歌稽古が、行われた。
私は仙女役で出演する。

その席で、私はびっしょりと手に汗をにぎっていた。
べつに、作曲家が鬼の形相で
スパルタ式の稽古をしたわけでもなく、
演出家が、灰皿をぶつけまくったわけでもない。

歌が苦手だ。
歌うことは嫌いではないのだが、
自信がないので、人まえで歌えない。
人まえで歌ったのは、
数年前の同窓会の3次会で行ったカラオケが最後。
あのときは、かなり酔っていたし、
小学校の同級生たちという気安さと、
めったに会うメンツでもないということもあり、
「卒業写真」だの「年下の男の子」だの
「私の彼は左きき」だのを機嫌良く歌えた。

まぁ、ここでこの選曲に注意していただければ、
私のなかで歌を覚えて歌うという行為が
1975年でストップしている
ということにお気づきいただけるかと思う。

中学卒業間際のころ、毒舌の友人から
「あんたってさぁ、自分で思ってるほど
 歌、うまくないよ」
と、ずばっと指摘されて
「もう、人まえで歌うまい」と決心したのだった。

その後、劇団の公演で歌う機会は何度かあったが
しぶしぶ、イヤイヤ、泣く泣く歌っていた。
ああ、演出家も、共演者も、お客さまも
「ちっ、この下手くそがっ」
と思っているのだろうなと思うと
身の置き所がなかった。

ナレーターの仕事を始めてからは、
喋るプロなんだから、
歌だって歌えるだろうということで
CMソングや、サウンドロゴを歌うお仕事を
いただくこともあった。
もちろん、同業者には歌のうまい人たちがたくさんいる。
しかし、私は違う。
もともと楽譜も読めないし、リズムもとれない。
収録スタッフには、音楽関係者が多いので
毎回、手取り足取り教えてもらって
なんとかこなしてきたが、
あまりのプレッシャーに、最近では
「私に歌のお仕事はムリっす。どうか勘弁してください!」
と宣言している。

K-CATが音楽劇を上演するのはこれで2回目。

前回の公演では、
「あたし、歌、ダメなんで…。キャストから外してください。」
と願いでて、歌わずにすませた。
逃げたのである。

しかし、いつまでも
苦手なことから逃げ回っているばかりでは
いかんなぁと反省した。

で、今回思い切って挑戦することにしたのである。
そしたら、案の定、稽古の時点で
歌の上手い他のメンバーたちの声を聞いて、
自己嫌悪の嵐がふきまくっていた。
芝居の稽古や、ミーティングのときには
やたら態度が大きく威勢のいい私が、
歌の稽古のときは、
小さく小さくなっていた。
ああ、できれば歌いたくない。
「歌うシンデレラ」の稽古で
「歌えない仙女」は身の置き所がなかった。

にぎった手の汗は、おそらく
イイ年をして、
「え~ん、上手に歌えないよぉ」
と泣くわけにもいかないので
かわりに手のひらから涙が出たのではないかと思われる。

とにかく、音楽劇に出演すると決めたのだから、
やるしかないのだと腹をくくった。

手に汗にぎったならば、拭けばいい。

そんなわけで、めったに聞けない私のレアものの歌声、
お聞きになりたい方は、
ぜひ劇場に足をお運びくださいませ。

- Profile -

東 千絵

東 千絵 (ひがし ちえ)

「プロダクション・アーニング」代表。CM・番組ナレーション、イベント出演、司会、映画・ドラマの方言指導などを手がけるかたわら、地元の演劇集団K-CATに所属。
電子書籍「そうだったのか、日本食」など、ライターとしても活躍の場を広げている。

バックナンバー

10月1日 第三十七回 「またね!」
9月1日 第三十六回 「苦手は、悪知恵で乗りきった」
8月1日 第三十五回 「命の終わらせ方」
7月1日 第三十四回 「お酒と私」
6月1日 第三十三回 「千里の道も一歩から」
5月1日 第三十二回 「女ごころの最後の悪あがき」
4月1日 第三十一回 「ドラマオーディション体験記」
3月1日 第三十回 「逃げ道が見つからないので、きんかんの甘露煮」
2月1日 第二十九回 「そのドアを開けてはいけない」
1月1日 第二十八回 「正月支度」
12月3日 第二十七回 「劇処 シャッフルステージ」
11月1日 第二十六回 「乗っかりそびれたハロウィン」
10月4日 第二十五回 「女って、生きているかぎり闘い続けるものなのよ」
9月3日 第二十四回 手塩にかけたナレーターたちのデビュー
8月1日 第二十三回 大人、大人、言いすぎじゃないの?
7月5日 第二十二回 靴が見つからない
6月8日 第二十一回 地獄の抑止力
5月3日 第二十回 最後まで笑顔
4月3日 第十九回 桜を見ずに逝った人
3月1日 第十八回 うるう年の薔薇
2月1日 第十七回 奥手な女子の初バレンタイン
1月2日 第十六回 愛しの近江町市場
12月1日 第十五回 どのツラさげて
11月1日 第十四回 結婚式の思い出
10月1日 第十三回 輝きの秘密は、言わぬが華
9月1日 第十二回 魔女と仙女と魔法使い
8月1日 第十一回 去っていった古女房
7月1日 第十回 恥ずかしかった誕生日の夜
6月1日 第九回 撮影裏ばなし
5月1日 第八回 歌うシンデレラと、歌えない仙女
4月1日 第七回 台湾、満喫、満足、満腹の旅
3月1日 第六回 熟年サラリーマンのプラトニックラブ
2月1日 第五回 報われないけど、やり甲斐のある仕事
1月1日 第四回 泣きたいときは泣いてもいいのか
12月2日 第三回 持てあました、夢見る権利
10月30日 第二回 煙草とトワレ
10月1日 第一回 ヒロインはいつもリカちゃん